小野田寛郎 帰国 名言 [ニュース]
1974年3月12日、大東亜戦争の終結を知らずフィリピンのルバング島で、たった独りで
29年間戦闘を続けていた小野田寛郎(少尉)さんが帰還しました。
「戦争」がとうの昔のこととなっていた1974年では、小野田さんの存在を認めることができず、
「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」などと誹謗中傷する声もありました。
後に、小野田さんはこう語っています。
―(世論では)私は「軍人精神の権化」か、「軍国主義の亡霊」かのどちらかに色分けされていた。 私はそのどちらでもないと思っていた。私は平凡で、小さな男である。命じられるまま戦って、 死に残った一人の敗軍の兵である。私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男である。
小野田さんが一人、命の危機を感じながら過ごしてきた29年間という年月は、現代の日本人
には、測り知ることが出来ないものだと思います。
小野田さんはご自身を特別な人間とはまったく考えておらず、自分自身を「一人の敗軍の兵」
と称しました。
しかし、戦争を知らない世代の我々は、この言葉から何かを学ぶべきではないでしょうか。
最後に・・・
「人生やり直したいですか?」という質問に対して、小野田さんはこう答えています。
―やり直したって、どうせ自分の思うようにいかないんだから(笑)
29年間戦闘を続けていた小野田寛郎(少尉)さんが帰還しました。
「戦争」がとうの昔のこととなっていた1974年では、小野田さんの存在を認めることができず、
「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」などと誹謗中傷する声もありました。
後に、小野田さんはこう語っています。
―(世論では)私は「軍人精神の権化」か、「軍国主義の亡霊」かのどちらかに色分けされていた。 私はそのどちらでもないと思っていた。私は平凡で、小さな男である。命じられるまま戦って、 死に残った一人の敗軍の兵である。私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男である。
小野田さんが一人、命の危機を感じながら過ごしてきた29年間という年月は、現代の日本人
には、測り知ることが出来ないものだと思います。
小野田さんはご自身を特別な人間とはまったく考えておらず、自分自身を「一人の敗軍の兵」
と称しました。
しかし、戦争を知らない世代の我々は、この言葉から何かを学ぶべきではないでしょうか。
最後に・・・
「人生やり直したいですか?」という質問に対して、小野田さんはこう答えています。
―やり直したって、どうせ自分の思うようにいかないんだから(笑)
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