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水嶋ヒロ スイス イジメ 号泣 [芸能]

俳優の水嶋ヒロさんが幼少期を過ごしたスイスでのイジメについて「アナザースカイ」

にて語り話題に。


映画「黒執事」出演でも話題になっている、水嶋ヒロさん。

生まれは東京ですが、両親の仕事の都合もあり、小学校の6年間をスイスのチューリッヒで

過ごしたそう。

ちなみに、スイスでの生活から、英語ドイツ語(スイスはドイツ語が公用語)も話せるとのこと。


小学校での6年間はあまり良い思い出がなく、「目がツリ目」「肌が黄色い」等、日本人というだけ

でイジメの対象になったそうです。

自分でどうすることも出来ない状況から、自分自身をスイスに連れてきた両親を恨んでいたと

語る水嶋ヒロさん。

日本に帰国後も、当時のことがネックとなり、スイスへの訪問を避けていたと語りました。

しかし、今回のアナザースカイで17年ぶりにスイスを訪れ、当時住んでいた自宅や生活環境を

もう一度目の当たりにした水嶋ヒロさんに湧いてきた感情は「両親への感謝」でした。

17年間避け続けてきた自分の過去と対峙し、わだかまりのなくなった水嶋ヒロさんの目には

涙が光るのでした。

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ちなみに水嶋ヒロさんは中学入学と同時に日本に帰国し、神奈川の桐蔭中学から桐蔭高校、

そして慶應義塾大学へと進学しました(高校ではサッカー部で全国4位だとか。ここまでスペック

が高いともう嫉妬心が湧いてこないですね~

ちなみにちなみに、実は私は水嶋ヒロさんと絢香さんのデート姿を目撃したことがありますが、

ものすごいオーラでしたよ。ありゃ逆に近づけんわ・・・(笑


博多大吉 歯 アロンアルファ [芸能]

お笑い芸人 博多華丸の博多大吉さんのアロンアルファ事件が話題になっています。


博多大吉さんは8年前に自宅でアーモンドを食べた際、何と前歯が取れたそう。

福岡の歯科医院で差し歯治療を開始し、順調に治療を進めていたのですが、

その治療中に東京進出をしたため、東京進出後もずっと仮歯で生活していたとのこと。

仮歯の数、何と7本


不安にならないのだろうか・・・?


しかも、大吉先生はその抜け落ちた7本の歯を「アロンアルファ」で接着(おいおい・・・)

何とその状態で8年間過ごしてきたそうです。

自分でもこの対処法はマズイと思ったのか、歯医者さんに怒られるのが怖くて、逆に歯医者に

行けなかったとのこと(笑


その後、無事歯医者に通い、7本の歯を新調した大吉さんですが、大吉さんには「歯ぎしり」

の癖があるんですね~。そのせいでまた2本歯が抜けた大吉さん。もうすぐ仕事。どうしよう。


で、どうなったか。


・・・アロンアルファでとめたそうです(笑


皆さん、時間がなくてもきちんと歯医者に行きましょうね。


PS.大吉さんも今回は仕事のあと、きちんと歯医者に行ったそうですよ!












パンサー 菅良太郎 リリコ 熱愛 [芸能]

お笑い芸人トリオ「パンサー」の菅良太郎さんとタレントのliLicoさんが熱愛!?
との噂になっています。

なせ、こんな噂になっているかというと、LiLicoさんが以前、日本テレビの
「見破れ!トリックハンター」という番組に出演した際、番組に登場した「マインドハッカー」
という、他人の心理を見抜く方に、「イニシャルハッキング」をされ、「付き合いたい、口説きたい
芸能人」のイニシャルが「K・R」であることを見抜かれていました。

また、同番組内でこの「K・R」が、「髪が長い」「髭がある」「ワイルド」であるとのヒントが
出されたことから、パンサーの菅良太郎さんが浮かび上がったようです。

また1/11の『王様のブランチ』で菅さんとLiLicoさんは共演を果たし、LiLicoさんは司会の
谷原章介から「菅さんと一緒ですよ!」と振られ、照れる一面を見せていました。

一方の菅さんは、「ニュースを見てびっくりしました」「“肉食系”のLiLiCoに襲われないため
「すぐに麻酔銃を検索しました」とつれない対応でしたが、元々が元来の肉食系女子の
LiLicoさんの手にかかれば、菅さんを落とすのは時間の問題か!?


ちなみに、LiLicoさんは1970年11月16日生まれの42歳。
菅さんは、1982年4月7日生まれの31歳ということで、10歳以上の年の差がありますが、
最近は「姉さん女房」も使わなくなるほど、女性が年上ということも当たり前の時代。

今回のお二人ももしかすると上手くまとまるかも?

やしきたかじん 宝塚歌劇の舞台に立った唯一の男性 [芸能]

【今回はやしきたかじんさんと宝塚歌劇との意外な関係についてです】



先日、2014年1月3日に64歳でお亡くなりになった、やしきたかじん さん(本名:家鋪 隆仁)

関西では言わずと知れた、名司会者ですが、歌手としての才能も非凡なものがあり、
「やっぱ好きやねん」や「東京」等を始め、数々の名曲を生み出してきました。

そんなやしきたかじんの歌手としての才能を裏付けるものとして、宝塚出演のエピソード
があります。


1977年に鳳蘭さんが宝塚歌劇史上初のリサイタルとなる『私の肖像画』を行うこととなり、
作曲部門担当者の選考が行われることとなりました。

その選考の最中、当時宝塚の演出家であった草野旦さんが、たかじんさんのデビュー曲
である『ゆめいらんかね』を聴き、その歌唱力と作曲センスを絶賛。
見事、たかじんさんは『私の肖像画』公演の作曲部門担当に大抜擢されることとなります。

その後、たかじんさんは『うわさ』『ゴロ寝』『ゆめいらんかね』『ひょっとしたらのお話』
『ラスト・ショー』の全5曲を宝塚に提供。また、楽曲提供のみならず、男性として史上初めて
宝塚歌劇の舞台に上がり、鳳蘭さんとの共演を果たすこととなるのです。


後にも先にも、男性が宝塚の舞台に立ったのは、たかじんが最初で最後となり、伝統と格式を
重んじる宝塚の舞台に立つことが許された「たかじん」は人々の心を打つ最高の歌手でした。




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